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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)12188号 判決

原告

岡田よし

右訴訟代理人弁護士

佐藤孝一

五八年(ワ)第一二一八八号事件被告

羽石好文

右訴訟代理人弁護士

米山謙一

五八年(ワ)第一二一八八号事件被告

井上省三

井上安子

井上元也

右三名訴訟代理人弁護士

山分榮

茂木洋

五九年(ワ)第一三九二五号事件被告

山分榮

五九年(ワ)第一三九二五号事件被告

田島廣嘉

右訴訟代理人弁護士

野島潤一

右訴訟復代理人弁護士

大森八十香

主文

一  被告羽石好文、同山分榮及び同田島廣嘉は原告に対し、各自金二三二万円及びこれに対する昭和五八年三月七日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告羽石好文、同山分榮及び同田島廣嘉に対するその余の各請求並びに被告井上省三、同井上安子及び同井上元也に対する各請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告と被告羽石好文、同山分榮及び同田島廣嘉との間においては、原告に生じた費用の二〇分の三を右被告らの連帯負担とし、右各被告に生じた費用の各五分の四を原告の負担とし、その余は各自の負担とし、原告と被告井上省三、同井上安子及び同井上元也との間においては、全部原告の負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは原告に対し、各自金五〇〇〇万円及びこれに対する昭和五八年三月七日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  東京都世田谷区宮坂一丁目二四一一番二、畑一〇九〇平方メートル(現在は宅地であり、また分筆されている。以下、本件土地という。)とその地上の別紙物件目録記載一の建物(以下、本件母屋という。)は、もと亡井上忠也(以下、忠也という。)の所有であつた。

2  忠也は昭和二五年四月八日に死亡したが、その相続人は、妻である亡井上トシ(以下、トシという。)、長女である被告井上安子(以下、被告安子という。)、次女である原告及び忠也、トシの養子で被告安子の夫である被告井上省三(以下、被告省三という。)であつた。

そして、トシを申立人とし、被告省三、被告安子及び原告を相手方とする東京家庭裁判所の遺産分割調停において、昭和二六年一一月一七日、忠也の死亡により開始した相続について、本件土地及び本件母屋はトシの単独所有とする旨の調停が成立した。

3  トシは、昭和三五年頃、本件土地上に別紙物件目録記載二の建物(以下、本件別棟という。)を新築した。また、トシは、本件土地上に別紙物件目録記載三ないし五の物置(以下、本件物置という。)を所有していた。

4  昭和五五年、トシはその所有財産の分配をすることとしたが、忠也の遺産分割を行つた際に相続登記をしていなかつたことから、その分配を忠也の遺産を分割するという形式で行うことにした。

そして、昭和五五年二月一六日、トシ、被告省三、被告安子及び原告は遺産分割協議書を作成したが、その内容は次のとおりである。すなわち、本件土地については被告安子、同省三側が取得する七七七平方メートルの部分と原告側が取得する三一二平方メートルの部分に分筆した上、被告安子、同省三側が取得する部分についてはトシが四分の一、被告安子が四分の二、被告省三が四分の一の各持分を取得し、原告側が取得する部分についてはトシが四分の一、原告が四分の三の各持分を取得することとした。また、本件母屋はトシが取得することとした。

なお、本件土地についてトシの持分を残したのは税金対策のためであり、本件土地に関するトシの持分については、被告安子、同省三側が取得する部分に対する持分は右両名の長男である被告井上元也(以下、被告元也という。)に、原告側が取得する部分に対する持分は原告の長女上田禮子、次女福田誠子にそれぞれトシが遺贈することとし、昭和五五年七月八日その旨の遺言公正証書が作成された。

また、トシは、本件母屋は自分の想い出の深いものであり、改造費用もすべて原告が出してくれたものなので、将来とも原告の権利を残し、皆で仲良く利用してほしいと強く希望していた。

そして、昭和五五年一〇月に本件土地の分筆登記(二四一一番二及び三となつた。)が行われた上で、同年一一月に右遺産分割協議書どおり忠也からの相続登記がされ、本件母屋については昭和五五年一一月にトシを所有者とする保存登記がされた。

なお、本件土地上の別紙物件目録記載の各建物(以下、本件建物と総称する。)は、すべて被告安子、同省三側が取得する土地(分筆後の二四一一番二)の上にあることになつた。

5  トシは昭和五五年一二月八日死亡したので、原告は本件建物の持分の三分の一を相続によつて取得した。

6  トシ死亡後、原告と被告省三、同安子及び同元也(以下、この三名を被告井上らと総称する。)との間で以下のような交渉があつた。

(一) 昭和五六年一一月初め頃、被告井上らの代理人から原告に対し、一二〇万円を支払うので本件建物に対する権利を放棄してほしいとの申入れがあつた。

しかし、原告は、トシが最後まで強く希望していたように、本件建物に対する原告の権利を残し、原告も本件建物を利用してトシの遺志を生かすとともに、これをトシを偲ぶよすがにもしたいと考えて、この申入れに応じなかつた。

(二) 昭和五七年一〇月二一日、被告井上らの代理人として被告山分榮弁護士(以下、被告山分という。)が原告宅に来訪し、二五〇万円払うから本件建物に対する権利を放棄してもらいたいとの申入れをした。

原告がこれを断つたところ、被告山分は、「あんな建物は、こちらで壊そうと思えばいつでも壊せるんですよ。」「おたくの方で同意していただけないなら、こちらで壊すかも知れませんよ。」「刑法に直接触れないようなやり方がいろいろあるんですよ。こちらで建物を壊してしまえば、あとは損害賠償の問題になるだけだ。裁判をやつても、二五〇万円もの損害賠償はとれない。取壊しに同意して二五〇万円を受取つた方が得ですよ。」などと述べた。

(三) 被告山分の話を聞いて不安になつた原告は、同年一〇月二三日、本件母屋について共有者を被告省三、被告安子及び原告(持分各三分の一)とする相続登記をした。

(四) 更に、同年一一月二五日、東京地方裁判所に被告井上らを債務者として本件建物の取壊し禁止を求める仮処分を申請し、昭和五八年一月二四日、被告井上らは本件建物を取壊してはならないこと、原告が本件建物につき持分三分の一を有することには争いがあり、本和解は右持分の帰属が確定するまでの暫定的和解であることを双方確認すること等を内容とする和解が成立した。

なお、被告井上らの代理人は被告山分であつた。

7  ところが、昭和五八年三月七日に本件建物は原告に無断で取壊されてしまつた。その経緯は次のとおりである。

(一) 被告井上らは、昭和五七年秋頃、被告山分に対し、原告から本件建物を取壊す承諾を取付けて、その敷地である分筆後の二四一一番二の土地(以下、被告井上ら所有土地という。)を売却処分することを依頼した。

被告山分は右依頼に基づいて原告と交渉をしたが、前記のとおり原告は本件建物の取壊しを承諾しなかつた。

そのため、被告井上らと被告山分は、本件建物を第三者に取壊させた上で、被告井上ら所有土地を売却処分することとし、被告井上らはその具体的な方法、手続等を被告山分に一任した。

(二) 被告山分は同年暮頃、以前から同被告の事務所に出入りしていた被告田島に対し、本件建物の取壊しを引受けてくれる者及び被告井上ら所有土地の買手を探すように指示した。

(三) そこで被告田島は、同年末頃、被告羽石に対して五〇〇万円の報酬で本件建物の取壊しを依頼した。

そして、被告田島は昭和五八年二月二一日、被告羽石を被告山分の事務所へ連れて行つた。その際、被告山分は被告羽石に対し、本件母屋には原告の持分登記があるが、この登記は原告が遺言書を偽造した上三文判を使つて勝手に行つたものであるから無効である、本件建物を取壊してはならない旨の裁判所の和解調書があるが、これはあくまでも暫定的なものであり、原告の持分権については争いがある旨和解調書に明記されている、したがつて本件建物を取壊すことは法的に全く問題がないから、本件建物を取壊してくれ、と依頼した。

(四) 被告田島は同年二月二二日、被告羽石を被告井上ら所有土地の買手である訴外株式会社小野建設(以下、小野建設という。)の事務所へ連れて行き、同社の社員に紹介した。その際被告田島は被告羽石を、この人が本件建物を取壊す人だと言つて紹介した。

(五) 同年二月二三日、被告省三の事務所に被告省三、同安子、同山分、同田島、同羽石及び小野建設社員らが集り、被告井上らと被告羽石が代表取締役である訴外有限会社羽石建材(以下、羽石建材という。)との間の被告井上ら所有土地及び本件建物の持分三分の二についての売買契約書(代金二億〇五三六万円)及び羽石建材と小野建設との間の被告井上ら所有土地についての売買契約書(代金二億五五六七万九二〇〇円)の調印と売買代金の決済が行われた。

小野建設は本件建物の取壊しが終るまで売買代金のうち一五〇〇万円の支払を留保した。

(六) 右同日、取引終了後、被告田島は被告羽石を被告山分の事務所へ連れて行つたが、その際被告山分は被告羽石に対し、あとに残つた建物の取壊しを間違いなく頼む旨念を押した。

(七) その後被告羽石は建物解体業者に本件建物の取壊しを依頼し、解体業者は同年三月七日に本件建物を取壊した。

取壊しには被告田島と被告羽石が立会い、取壊し終了後被告田島が解体業者に取壊し費用九〇万円のうち五〇万円を支払つた。

(八) 同年三月一〇日、解体業者が本件建物の残材の搬出を行つたが、このときにも被告田島と被告羽石が立会い、搬出終了後被告田島が解体業者に取壊し費用の残額四〇万円を支払つた。

残材の搬出が完了すると、小野建設の社員がこれを確認し、小野建設の事務所で被告田島に売買残代金一五〇〇万円を支払つた。被告田島はそのうち四一〇万円を被告羽石に支払い、残りの一〇九〇万円は被告田島が持つて行つた。

8  被告らは共謀の上、被告羽石を実行行為者として本件建物を取壊したものである。仮にそうでないとしても、被告羽石を除く被告らは被告羽石に対して本件建物を取壊すように依頼し、指示し又は教唆して本件建物を取壊させたものであり、被告羽石はこれを受けて本件建物を取壊したものである。仮にそうでないとしても、被告井上ら、同田島及び同羽石は共謀の上本件建物を取壊したものであり、被告山分は少なくともこれを幇助したものである。

以下、各被告の責任について詳述する。

(一) 被告羽石について

被告羽石は本件建物を取壊した者であり、被告田島と被告山分から、原告が本件母屋について持分三分の一の登記をして本件建物についての権利を強く主張し、被告井上らを相手どつて本件建物の取壊し禁止を求める仮処分申請までして被告井上らに本件建物を取壊さないことを約束させたことも聞いていたのである。

被告羽石は、弁護士である被告山分から本件建物を取壊しても法的に何ら問題がないと説明されてこれを信じたのであるから、故意も過失もないと主張しているが(後述)、次に述べる事実によれば、被告羽石は本件建物の取壊しが違法であることを知つていたか、知らないことに重大な過失があつたものというべきである。

すなわち、①被告山分は被告井上らの代理人であつて、客観的な立場で被告羽石に法的助言を行つたものではない。しかも、被告羽石は、被告山分から建物の解体作業中にパトカーでも来ると面倒だから三〇分間で取壊せと指示されたというのである。このような被告山分の言うことを軽率に信じたとすれば、被告羽石には重大な過失がある。②被告羽石の供述によれば、本件建物の取壊しの謝礼として被告田島から一〇〇〇万円をもらう約束になつていたという。ところが、解体の実費は一〇〇万円足らずであつたというのであるから、異常に高額な謝礼であり、これは違法行為に対する報酬であることを当然認識していたはずである。③被告羽石は、被告山分から本件建物を第三者が買取つて取壊しを行うならば法的に何の問題もないと言われたと供述するが、それならば小野建設が買取つて自ら解体すれば良く、被告羽石に解体を依頼する必要はないことになる。被告羽石の説明は合理性がない。④本件建物の取壊しに際しては、数日をかけて隣接する建物の居住者の動静を慎重に調査し、その不在の時間帯を確かめた上、下請業者二名とユンボ二台を使つて僅か三〇分間で解体を完了し、直ちに現場を離れたという。このような行動は、本件建物の取壊しが違法であることを認識していた者の行動以外の何ものでもない。⑤本件建物につき原告が強く権利を主張し、三分の一の持分登記をしている事実を知つていたにもかかわらず、原告に対して何の問合せもせず、客観的立場の専門家の意見を聞くこともしなかつた。

(二) 被告田島について

被告田島は本件建物の取壊しを被告羽石に依頼した。そして、被告田島は、当初から不法な方法で原告と被告井上らとの紛争を処理して被告井上ら所有土地を更地にして、これを他に売買して差益を得ようと目論み、これを実現するため羽石建材を探し出し、同社を買主とし、同社が更地として小野建設に売渡すように事を取運んだものである。被告田島が前記二つの売買の差益のうち五〇〇万円を被告羽石に支払つただけで、残りを全部自己の利益として取得していることも右の事実を裏付けている。

(三) 被告井上ら及び被告山分

被告井上らと被告山分は、原告の持分がある本件建物が存在するままでは被告井上ら所有土地を売却することができないため、被告羽石に本件建物を取壊させる目的で羽石建材との売買契約を締結し、本件建物の取壊しを実行させたものである。

すなわち、被告井上ら及び被告山分は、被告田島の出現を契機に、同被告が不法な方法で原告との紛争を処理し被告井上ら所有土地を更地にして転売して差益の取得を目論んでいることを認識し、同被告を介して右土地及び本件建物の持分三分の二を処分するためにその羽石建材への売却を意図し、このようにすれば被告田島(被告羽石)の建造物損壊の所為等の不正を誘発しかねないものであり、現に被告田島らがそのような意図を持つていることを認識の上、敢えて右売買取引を完結したものである。

少なくとも被告山分は、右取引の目的の不正を知り、これを完結させることは右不正を是認する結果になることを認識しながら被告井上らに思いとどまらせようと考えず、自ら右取引の売買契約書を作成し契約に立会いするなどして被告井上らの代理人として終始これに関与し、これを完結させたものである。

9  本件建物が取壊されたことにより、原告は次のような損害を被つた。

(一) 本件建物が取壊された当時、本件母屋は月額六〇万円、本件別棟は月額八万円の賃料をもつて賃貸することができたものであり、これらの建物は取壊された時点から二〇年間は使用することができたものであるから、この間に合計一億六三二〇万円以上の賃料収入を得ることができたはずである(これは物価上昇等に伴う賃料の増額や契約締結時の礼金、更新時の更新料等の収入などを除いた金額であるから、右建物の賃貸による収入は、中間利息を控除した現価に引直しても右金額を下らない。)。

そして、原告は本件建物についてそれぞれ三分の一の持分権を有していたのであるから、右金額の三分の一にあたる五四四〇万円の収入を得られたはずであるところ、右収入を失つたものである。

(二) 原告は被告井上ら所有土地について本件建物の所有を目的とする使用借権を有していたものであるところ、被告らが本件建物を取壊した上、被告井上らが右土地を小野建設に売却してこれを引渡したため、原告は右使用借権を行使することが不可能となり、右使用借権相当額の損害を受けた。右使用借権の価額は五〇〇〇万円を下らない。

(三) 原告は亡母トシのため本件母屋の改造工事費用を支出し、トシの死後は同人の強い希望もあつて本件建物をトシを偲ぶよすがとしていたものであるところ、被告らの手によつて不法にも裁判上の和解に違反してこれが無残に破壊されてしまつた。

原告は右暴挙によつて筆舌に尽し難い精神的打撃を受けた。これを金銭に評価すれば五〇〇〇万円を下らない。

10  よつて、原告は被告らに対し、不法行為による損害賠償として、各自右損害の内金五〇〇〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和五八年三月七日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める。

二  請求原因に対する答弁

1  被告羽石

(一) 請求原因5項のうち、本件母屋について原告の持分を三分の一とする所有権移転登記がされていたことは認める。その余の本件建物について原告が三分の一の共有持分を有していたことは知らない。

(二) 同7項のうち、昭和五八年二月二三日頃、当時被告羽石が代表取締役をしていた羽石建材が被告井上らから被告井上ら所有土地及び本件建物の持分三分の二を買受ける旨の売買契約書を作成したことは認める。これは、被告井上らが羽石建材に本件建物を取壊させる目的と、不動産譲渡による税金を免れる目的で、羽石建材を中間に介在させたもので、真実の買受人小野建設からの代金受領等契約に関する一切は被告井上らの代理人である被告山分がしたものであつて、羽石建材は売買代金等の受領には一切関与していない。

また、原告主張の頃、羽石建材が建物解体業者に委託して被告井上ら所有土地上の老朽空家を取壊し、整地したことは認める。しかし、被告羽石個人としては取壊しに関与していない。次に、本件母屋は被告井上ら所有土地とは全く別個の土地である隣地の宮坂一丁目二四一二番地に所在するものとして登記されており、羽石建材が業者に解体させた建物と同一物件であるとはいえない。仮に同一であるとしても、その登記が正当にされていない以上、第三者である羽石建材及び被告羽石に対抗できない。

(三) 同8項は争う。

羽石建材には建物取壊しの事実はあるが、買主名義人に仕立て上げられ、相被告らの指示に従つたもので、不法行為についての共謀の事実はない。したがつて、被告羽石には本件不法行為について故意も過失もなく責任原因はない。

なお、被告羽石には原告主張のような注意義務はない。何ら法律問題は起らないとの専門的合理的説明を受けているのであるから、通常人としての十分以上の注意はしている。原告は、原告に問合せるべきであると主張しているが、原告の持分が登記されている本件母屋と解体した建物は同一物件ではない。

(四) 同9項は争う。

被告井上ら所有土地上にあつた建物は建築後五〇年以上も経過した老朽した空家であつて、第三者に賃貸して収益を得ることは不可能である。仮に賃貸が可能であるとしても、原告の主張する賃料では賃貸できず、また二〇年も存続できるものではない。更に、被告井上らとの間で本件建物は一切使用しない旨の和解を成立させているから、第三者に賃貸使用させることはできず、賃料収入をあげることはできない。

2  被告井上ら

(一) 請求原因1項は認める。

(二) 同2項のうち、忠也の死亡した年月日、忠也の相続人に関する事実、原告主張のような調停の申立がされ、その主張のような調停調書が存在することは認めるが、その余は否認する。被告省三は当時住友銀行東京支店長の職にあり、家族内のごたごたにつき争うことを好まないためにトシがなすままに任せていた。

(三) 同3項は否認する。本件建物はいずれも忠也死亡前から存在するものであるが、仮にその後トシが作つたとしても、独立のものではなく付属建物であつて、主たる建物に付属する建物である。

(四) 同4項のうち、原告主張の遺産分割協議書及び遺言公正証書が作成されたこと、本件土地及び本件母屋について原告主張のような登記がされたことは認め、その余は否認する。

トシは昭和五三年頃になり、被告省三に対し、「忠也の遺産について遺産分割をしてくれ、自分は老先短いから財産は必要ない、分割については被告省三に一任するから」と述べた。そこで被告省三は本件土地を原告主張のとおり分割することにし、原告の同意を得たものである。その際、本件建物については、トシが戦後シベリヤに抑留された忠也の帰国を待ちわびた場所で、忠也死亡後は本件土地の一郭に忠也のために祠を建てたほどであるために、トシの心情を考えトシ名義にし、トシが死亡するまでは現状のまま残しておくことにした。すなわち、単に名義だけをトシとしたものである。

(五) 同5項のうち、トシが昭和五五年一二月八日に死亡したことは認め、その余は否認する。

(六) 同6項のうち、(一)は否認する。(二)のうち、昭和五七年一〇月二一日頃被告井上らの代理人として被告山分が原告宅を訪問したことは認め、その余は否認する。(三)のうち、原告が本件母屋について相続登記をしたことは認める。(四)は認める。

(七) 同7項のうち、(一)は否認する。被告山分が原告方を訪れたのは、原告と被告井上らが話合いをする機会を作るためである。

(二)は否認する。

(三)のうち、被告田島が被告羽石に対し本件建物の取壊しを依頼したことは知らない。その余は否認する。但し、被告羽石が被告山分の事務所を訪れたことはあるが、それは被告井上ら所有土地等の買主としてあいさつに来ただけである。

(四)は知らない。

(五)のうち、昭和五八年二月二三日に被告省三の事務所で被告井上らと羽石建材との間の被告井上ら所有土地及び本件建物の持分三分の二についての売買契約が締結されたこと、羽石建材から被告井上らに売買代金二億〇五三六万円が支払われたことは認めるが、その余は否認する。

(六)は否認する。

(七)、(八)は知らない。

(八) 同8項は争う。

被告井上らが被告井上ら所有土地及び本件建物の持分三分の二を売却した事情は次のとおりである。

後に抗弁において主張するような事情で、本件建物は被告省三、同安子の所有に属するものであつたので、被告省三、同安子は本件建物を取壊し、別の建物を建て、被告井上らが取得した被告井上ら所有土地を利用しようとして、原告に対しその旨話したところ、その頃から原告の態度が豹変し、本件建物については原告も持分三分の一を有するものであると主張し始めた。

昭和五七年一〇月二一日に被告井上らの代理人として被告山分が話合いのため原告方を訪問し、抗弁として主張するような経緯を説明して、仮に原告の主張どおりとしても、本件建物の敷地を占有する権利は使用借権であつて、占有権原としては大手を振つて主張できるものではない、それよりも二人しかいない姉妹であり、この年になつて実の姉妹で争うなどむだだから話合つてはどうか、金ならば二、三〇〇万円位ならば井上家から出させるから、と話したが、原告は聞き入れなかつた。

その後、原告は本件母屋について被告省三、同安子に対し何の断りもなく勝手に相続の登記をし、本件建物の取壊し禁止の仮処分申請をしてきた。被告井上らとしては極力原告と争うことを避けたいために、和解を成立させた。

しかし、被告省三は既に八〇歳近い年齢であり、被告安子も七二歳の高齢であつて、訴訟で争うとすれば相当の年月がかかり、これが片づいても原告の従来からの態度からみて何らかの紛争を起してくることは目に見えているので、この年になつて姉妹で争うことは何としても避けたいと考えて、被告井上ら所有土地をこれら紛争のあるままで時価よりも安く売却することとし、昭和五八年二月二三日、羽石建材に「本件建物については原告の三分の一の共有持分登記があり、原告は右持分を有すること及び被告井上ら所有土地につき右持分のための使用貸借があることを主張しているが、これについては引渡後話合いで解決し、原告から異議のないようにする」旨の条件をつけて売却したものである。その後本件建物がどのようになつたかは被告井上らの知るところではない。

(九) 同9項は争う。

本件建物は昭和五〇年九月頃、原告がトシの名義で訴外畠山亮に賃貸した。トシは畠山に対し明渡を請求する訴訟を提起し、一審では敗訴したが、一審判決後畠山が急死し、その相続人らに賃料支払能力がないので、控訴審において昭和五五年一一月一七日、三〇〇万円位の立退料を支払うことで辛うじて和解が成立した。以来、本件建物を賃貸することはトシはもちろん原告、被告井上らにも考えられないことであつた。

また、仮に原告が本件建物について三分の一の持分を有するとしても、被告井上ら所有土地を占有できる根拠は使用借権であつて、所有者が変更すると対抗できないものである。仮に対抗できたとしても、土地所有者はいつでも返還を請求できるものであり、羽石建材が本件建物を取壊したとすれば、それは土地所有者羽石建材の本件建物を所有しその敷地を占有することを拒絶した意思の現れ(使用貸借を解除する旨の意思表示)であつて、原告は本件建物を所有して被告井上ら所有土地を占有する権原はなく、早晩本件建物は収去される運命にあるから、原告が主張するように本件建物を二〇年間もこの状態で維持することはできない。

更に、仮に本件建物を原告が第三者に賃貸しようとしても、それは少なくとも共有物の管理に関する事項であり、共有者の持分の価格の過半数により決めることになる。羽石建材が本件建物を取壊したとすれば、本件建物の持分の三分の二を有する羽石建材の本件建物を他に賃貸しないという意思の現れであつて、原告としては本件建物を賃貸することはできない。

以上のとおり、原告の主張するような得べかりし利益が生ずる余地はない。本件建物は、収去のために費用を要することはあつても、何ら財産的価値はない。

3  被告山分

(一) 原告が本件建物について共有持分三分の一を有していたことは知らない。

(二) 請求原因7項についての答弁は、被告井上らと同一である。

(三) 同8項、9項は否認する。

4  被告田島

(一) 原告が本件建物について持分三分の一を有していたことは否認する。

(二) 請求原因7項のうち、(一)は知らない。

(二)は否認する。

(三)のうち、被告羽石が被告山分の事務所を訪れ、被告田島が同席したことは認めるが、その余は否認する。被告羽石は被告井上ら所有土地の買主として被告山分の事務所を訪れたものである。

(四)のうち、被告羽石が小野建設を訪れ、被告田島が同席したことは認めるが、その余は否認する。被告羽石は小野建設に対する被告井上ら所有土地の売主として同社を訪れたものであり、原告との問題は被告羽石が責任をもつて解決するとのことであつた。

(五)のうち、被告省三の事務所において被告井上らと羽石建材間の売買契約書が作成され、右当事者間で代金の支払がされたことは認め、その余は否認する。

(六)は否認する。

(七)のうち、被告羽石が解体業者に本件建物の取壊しを依頼し、解体業者が取壊しをしたことは知らない。被告田島が右取壊しに立会い、業者に五〇万円を支払つたことは否認する。

(八)のうち、被告田島が残材搬出後に現場に行つたこと及び被告羽石が小野建設の事務所へ行き、被告田島が同席したことは認めるが、その余は否認する。

(三) 同8項は争う。以下述べるとおり、本件建物の取壊しは被告羽石が単独でしたものであつて、被告田島らその余の被告は何らの関与もしていない。

被告羽石は不動産業者であり、たまたま被告田島から被告井上ら所有土地を被告井上らから買受け、紛争を解決し更地として他に転売すれば約五〇〇〇万円の利益が得られることを聞き、何とかしてこのもうけ話に加わろうと考えたのか、被告田島に対し「自分には和解のうまい弁護士がいる。一か月もあれば土地を更地とすることができる。被告羽石側で明渡につき責任を持つから何とかこの話に一枚加わらせてくれ」と申し出てきた。

被告田島はこの申し出を受け、以前この土地の話をしたことがある小野建設に被告羽石を引合せ、被告羽石が明渡につき責任を持つということで、被告羽石が右土地を小野建設に転売する話がまとまつた。その契約内容は、「売買代金のうち一部の支払を留保する。土地は一か月後に更地として引渡し、この場合には留保した残代金を支払う。一か月以内に更地にできない場合には現状のまま引渡すが、その場合には残代金の請求権を失う。」ということであつた。

昭和五八年二月二三日、被告羽石(名義は羽石建材)は被告井上ら所有土地の売買契約を締結したが、その直前に小野建設から一部保留した金額を差引いた代金が被告羽石に支払われ、被告羽石はこれを受領し、その中から被告井上らに対する売買代金を支払つた。ところが、被告羽石は、右売買契約締結後間もなく当初の言に反して本件建物を取壊して被告井上ら所有土地を更地にして小野建設に引渡し、留保されていた残代金を受領した。

被告羽石は、原告から損害賠償の請求を受け、自己所有の家屋が仮差押えされるや、損害賠償の請求を免れるために、本件建物は被告田島、同井上ら及び同山分から依頼されて取壊したものであると主張し、自己が所持する書類を原告に交付するなどして原告に協力しようとした。

被告羽石が単独で本件建物を取壊したことは、以下の事実からも推認することができる。すなわち、①原告から本件建物の取壊しについて告訴されると、被告羽石は警察に自ら出頭し、被告羽石が自分一人で取壊した旨供述している。②被告羽石は宅地建物取引業の免許を持ち、不動産業を営んでいた者であるが、本件訴訟においては補助的立場を印象づけるためか解体の専門業者であると殊更に強調し、本業である不動産業を営んでいることを隠蔽しようとしている。③小野建設と羽石建材との売買契約書及び羽石建材と被告井上らとの売買契約書は被告羽石自身が内容を確認の上押印し作成したものである。しかし、被告羽石は、右各売買契約書が作成された時に、自分は印鑑を預けたまま印紙を買いに行かされ、その間に売買契約書が作成されてしまい、内容は全く知らなかつたと供述している。宅地建物取引業の免許を持ち、不動産業を営む被告羽石が億単位の売買契約書の作成を他人に任せ、自分は内容を全く確認しないなどということは考えられず、二回とも印鑑を預けたまま印紙を買いに行かされたという供述自体も不自然である。これは自己の責任を回避するために考え出された虚言である。④被告羽石は、被告井上ら所有土地の売買を引受けるに際し税理士に税金の相談をし、二つの売買契約の代金に五〇〇〇万円の差額がある場合に、経費を控除しても税金が約一三〇〇万円かかることを知らされており、現実に本件取引により一五〇〇万円の利益があつたことを税務申告している。⑤被告羽石は、被告田島らを相手に提起した別件訴訟においては、本件売買代金の流れ及び所有権移転登記費用、仲介手数料等の経費について詳細に主張している。

(四) 同9項は否認する。

三  被告井上らの抗弁

1  昭和五三年頃、トシは被告省三に対し忠也の遺産について遺産分割することを依頼し、昭和五五年二月一六日にトシ、被告省三、同安子及び原告の間で遺産分割協議書が作成されたが、その際、本件建物は被告省三及び同安子が相続することにした。但し、その名義はトシとした。

2  仮に右主張が認められないとしても、右遺産分割協議の際、トシが死亡した時には原告、被告省三及び同安子が相続人として相続財産につき権利を有するが、分割においては本件建物は被告省三及び同安子が取得することに予め約束をした。そして、原告は、本件建物につきトシ死亡後は相続権を主張しない旨の念書を差入れた(この念書は被告省三、同安子が自宅の状差しに入れていたが、その後原告が勝手に持ち出してしまつた。)。

なお、本件建物について相続権を主張しないということは、相続財産の一部を特定して相続権を主張しないことであつて、換言すれば相続開始後は本件建物は原告において相続しない旨の分割方法についての定めであり、効力を有する。

3  仮に以上の主張が理由がないとしても、トシの死亡後に、その財産である預金については原告の申し出どおり被告省三、同安子と原告が半分ずつ相続し、本件建物については被告省三、同安子が相続することで、トシの遺産のすべてについて話合いが成立している。

四  抗弁に対する答弁

1  抗弁1項は否認する。

2  同2項は否認する。また、そもそも相続の開始前に相続人が遺産の分割方法を定めること自体が法律上認められていないから、仮に被告井上ら主張のような意思表示がされたとしても、何ら法的効力を有さず、無効のものである。

3  同3項は否認する。トシの遺産のうち、相続人間で分割協議が成立したのは預金についてだけである。

第三  証拠〈省略〉

理由

一〈証拠〉によれば、本件土地及びその地上の本件母屋はもと忠也の所有に属するものであつたことが認められる。

二〈証拠〉によれば、忠也は昭和二五年四月八日に死亡し、その相続人は妻のトシ、長女の被告安子、二女の原告及び忠也とトシの養子で被告安子の夫の被告省三(養子縁組及び婚姻はいずれも昭和二年六月六日である。)であつたこと、トシは昭和二五年に被告省三、同安子及び原告を相手方として東京家庭裁判所に忠也の遺産についての遺産分割調停を申立て、昭和二六年一一月一七日、本件土地及び本件母屋を含む相続不動産は全部トシの単独所有とし、相手方らはその相続登記手続に協力すること、トシは被告省三及び同安子に対しそれぞれ一七万五〇〇〇円を支払うものとし、調停の席上右金銭の授受を完了したこと、原告は右の分割に何ら異存はないこと等を内容とする調停が成立したことが認められる。

したがつて、これによつて本件土地及び本件母屋はトシの所有に属することになつたものである。

三〈証拠〉によれば、トシは昭和三五年頃本件土地上に本件別棟を新築したことが認められる。また、弁論の全趣旨によれば、トシは本件土地上に本件物置も建築したことが認められる。

したがつて、本件別棟及び本件物置もトシの所有に属していたものである。

四〈証拠〉によれば、昭和五五年二月一六日にトシ、被告省三、同安子及び原告の間で本件土地及び本件母屋について原告主張のような内容の遺産分割協議書が作成され、同年七月八日には右遺産分割協議書においてトシが取得するものとされた本件土地の持分四分の一について、これを原告主張のとおり遺贈する旨の遺言公正証書が作成されたこと、昭和五五年一〇月一七日、本件土地は二四一一番二(被告井上ら所有土地)及び同番三に分筆され、同年一一月四日、被告井上ら所有土地についてはトシ、被告省三及び同安子を共有者とする相続登記、二四一一番三についてはトシ及び原告を共有者とする相続登記、本件母屋については所有者をトシとする所有権保存登記がそれぞれされたこと(この時まで本件土地についての忠也の相続登記はされておらず、また、本件母屋については表示登記だけがされていた。)、右分筆の結果、本件建物はいずれも被告井上ら所有土地の上に存在することになつたこと、以上の事実が認められる。

なお、原告本人尋問の結果によれば、昭和二六年に忠也の遺産についての遺産分割調停が成立しているのに、昭和五五年に再度遺産分割協議書が作成されたのは、忠也の遺産である本件土地及び本件母屋について昭和五五年までトシへの相続登記がされていなかつたため、忠也の遺産がこの時まで分割されていなかつたことにして忠也の遺産の分割の形をとつてトシの財産を生前に分配し、トシの遺産相続の際の相続税を免れようとしたためであることが認められる。

ところで、被告井上らは、昭和五五年の右遺産分割協議書の作成に際し、本件建物は被告省三、同安子が相続することになつたものであり、単にその名義だけをトシとすることにしたものであると主張する。そして、被告元也本人は、本件建物は被告井上らが取得する土地の上に存在していたので、その所有権は被告省三、同安子が取得することになつたが、当時本件母屋の一部を賃借していた畠山亮に対するトシを原告とする明渡訴訟が係属しており、また、トシ名義の不動産が全くなくなるのは気の毒であるという感情があり、トシが本件建物に対して執着を持つていたこともあつて、本件母屋の名義をトシとしたものである(本件母屋以外の本件家屋は未登記であつた。)と供述している。そして、〈証拠〉によれば、昭和五五年当時、右トシを原告とする明渡請求訴訟が係属していた(昭和五五年一一月一七日に和解が成立している。)ことが認められる。

しかし、右供述は原告本人尋問の結果と対比して措信できない。それまで本件母屋についてトシ名義の登記がされていなかつたのに、この時点でトシ名義の保存登記がされたのは、トシが実質的にこれを所有していたからであると考えるのが合理的であつて、トシの所有ではなくなつたのにわざわざ新たにトシ名義の保存登記をするというのは不合理である。また、保存登記がされたのは明渡訴訟について和解が成立した直前の一一月四日であつて、既に和解成立の見通しはついていたと思われるから(〈証拠〉によれば、畠山亮は昭和五五年二月二日に死亡し、その相続人らの訴訟代理人は、同年三月一一日に、トシ宛に賃貸借契約を賃借人の都合により解除し、いつでも明渡のできる準備をしているのでその日時を指定してもらいたいとの内容証明郵便を送付してきたことが認められる。)、訴訟遂行のためにトシ名義の登記をすることが必要であつたというのは首肯し難い。更に、〈証拠〉によれば、昭和五五年二月一六日の遺産分割協議書には、本件建物のトシの所有が単に名義だけのものであつて、実際にはこれを被告省三、同安子が取得するという趣旨の記載はないことが認められるところ、右協議書に実際の合意内容をそのまま記載できなかつた理由があつたことを認めるに足りる証拠はない。

他に被告井上らの前記主張事実を認めるに足りる証拠はない。

そうすると、昭和五五年二月一六日付遺産分割協議書作成の際の話合いにおいても、本件建物がトシの所有に属するということについては何ら変更はなかつたことになる。

五〈証拠〉によれば、トシは昭和五五年一二月八日に死亡したことが認められる。その相続人は原告(二女)、被告省三(養子)及び被告安子(長女)である。

被告井上らは、原告は昭和五五年二月の遺産分割協議のときに、トシが死亡した際には本件建物についての相続権を主張しない旨を約束し、その旨の念書を差入れたと主張する。そして、被告元也の本人尋問の結果はこれに沿うものである。

しかし、右本人尋問の結果は、原告本人尋問の結果と対比して、措信できない。被告元也本人は、右念書は状差しか何かに差してあつたようであるが、これがなくなつてしまい、昭和五六年二、三月頃に原告に電話で問合せたところ、原告は念書が勝手に帰つてきたと述べていた、この頃原告は被告井上ら方に常に来ていたと供述している。しかし、念書はトシの遺産相続に関する重要な書類であるのに、これを状差しに差しておくというのはとうてい納得することができないのであつて、このような念書が存在したというのは極めて疑わしい。

また、相続の放棄については、相続開始後に家庭裁判所に申述がされ、家庭裁判所がその申述を受理する旨の審判がされて初めてその効力が生ずるのであつて、相続開始前にあらかじめ相続を放棄することは許されず、他の相続人との間の相続を放棄する旨の契約は無効であると解される。そして、このことは特定の財産についての持分を相続開始前に放棄する契約であつても異なるものではないと解するのが相当である。被告井上ら主張のようにこれを遺産分割方法についての定めであると解したからといつて結論が異なるものではない。被告井上ら主張の合意は、仮にその存在が認められたものとしても、無効というほかはない。

次に、被告井上らは、トシの死亡後に、原告と被告省三、同安子との間で、本件建物は被告省三、同安子が相続する旨の合意が成立したと主張する。

しかし、この事実を認めるに足りる証拠はない。かえつて、被告元也本人は、そのような話合いないし合意成立の事実はないと明確に供述している。

したがつて、原告は相続によつて本件建物の三分の一の持分を取得したものである。

六〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

昭和五七年六月一六日、被告井上らの所有土地について昭和五五年一二月八日遺贈を原因としてトシ持分の被告元也への移転登記がされた。その結果、被告井上ら所有土地は、被告省三(持分四分の一)、同安子(持分四分の二)及び同元也(持分四分の一)の名義となつた。

昭和五七年一〇月二一日、被告井上らの代理人として被告山分が原告宅を訪問し、原告に対し、井上側から原告に二五〇万円を払うから本件建物の権利を放棄してもらいたいとの申し入れがあつたが、原告はこれを拒否した。

そして、原告は、佐藤弁護士(原告訴訟代理人)に相談の上で、昭和五七年一〇月二三日、単独で本件母屋について共有者を被告省三、同安子及び原告(持分は各三分の一)とする相続登記をした。

また、原告は、同年一一月二五日、東京地方裁判所に、被告井上らを債務者として、本件建物が被告井上らによつて取壊されるおそれがあることを理由にして、本件建物の取壊し禁止等を求める仮処分申請をした。この仮処分事件においては被告山分が被告井上らの代理人となり、本件建物の所有権の帰属についてほぼ本件訴訟における主張と同様の主張をした。

そして、右仮処分事件において、昭和五八年一月二四日に和解が成立した。その和解条項には、「被告省三、同安子は本件建物を取壊してはならない。」、「被告井上らは原告が本件建物の保存行為をするために被告井上ら所有土地上にある正門から本件建物に出入りすることを妨害してはならない。」、「原告と被告省三、同安子は、本件建物を使用してはならい。但し、原告と被告省三、同安子との間で協議成立したときはこの限りではない。」、「原告が本件建物の持分三分の一を有することには争いがあり、本和解は右持分の帰属が確定するまでの暫定的和解であることを双方確認する。」等の条項が含まれている。

以上の事実が認められる。

七本件建物が取壊された経緯については、〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  被告井上らは、昭和五七年一一月頃までに、被告井上ら所有土地及び本件建物の持分三分の二を売却することを決意し、その売却については一切を被告山分に委任した。

2  被告田島は、不動産業等を営む立建興発株式会社の代表取締役であり、右会社は宅地建物取引業の免許を有している。被告山分を昭和四六年頃から知つており、何件かの事件の処理を依頼したことがある。

被告田島は、昭和五七年一一月頃、被告井上ら所有土地が売りに出されていることを聞知し、被告省三方に問合せたところ、この件については被告山分に任せてあるとの返事であつたので、同弁護士の事務所を訪問し、右土地について説明を受けた。被告山分の説明は、被告井上らが相続した土地上に古い家があり、相続人の一人(原告)が右建物については相続放棄をすると述べていたのに、最近になつて原告が右建物について自己の持分を三分の一とする相続登記をして権利を主張し、紛争が生じている、被告井上らは、高齢でもあり、兄弟間で争うのは好まないので、紛争が生じているままの状態で売却したい、紛争は買主が解決してもらいたいという意向である、その代り時価の二割引き位の価格で売却する、とのことであつた。

被告田島は、現地を確認し、被告井上ら所有土地等の登記簿謄本をとつた上で、右土地を買受けて紛争を解決し、これを転売することとした。

3  被告田島は、昭和五七年一二月初め頃、不動産仲介業者の株式会社千國(以下、千國という。)などに、被告井上ら所有土地を買受ける意向がないかどうかを打診したところ、千國から、小野建設が土地を買受ける意向であるとの話があつたが、小野建設は更地になつたならば買受けるとのことであつた。小野建設は建売り等の建築業を営んでいる会社である。

そこで被告田島は、その頃、昭和二七年頃からの知り合いである被告羽石に、本件建物の解体を依頼し、被告羽石はこれを承諾した。

被告羽石は、当時、建築土木用各種資材等の販売、建築土木の設計、施工等を業とする羽石建材の代表取締役であるとともに、不動産売買の仲介、斡旋等を業とする西武開発株式会社の代表取締役でもあつた。

そして、被告田島と被告羽石は、被告井上ら所有土地及び本件建物の持分三分の二を被告羽石が被告井上らから買受け、本件建物を取壊して右土地を更地にした上で、この土地を小野建設に売却するという方法をとることにした。

被告田島は小野建設に被告井上ら所有土地を更地にすることができる旨を伝えたところ、小野建設はこれを買取るとの意思を表明した。

4  昭和五八年二月に、被告田島と被告羽石は小野建設及び千國に出かけて、売買の条件について折衝をして、代金額、代金額のうち土地が更地になるまで留保する金額などについて決定した。

千國へ出かけた日に、被告田島は被告羽石を被告山分の事務所へ同道し、被告羽石を被告山分に紹介した。被告羽石は被告山分に、被告田島に代つて買受ける者であると述べた。

5  昭和五八年二月二三日の前日あるいは一週間位前に、被告田島、被告羽石及び千國が小野建設へ行き、被告井上ら所有土地の売買契約書の作成、調印をした。

売主は羽石建材、買主は小野建設、代金は二億五五六七万九二〇〇円であつて、更地渡しとする旨の特約が付されていた。契約書の日付は昭和五八年二月二三日とされた。なお、契約書では右代金は契約書作成と同時に全額支払うとされているが、実際には、このうち一八九三万九二〇〇円は土地が更地となるまで支払を留保し、残額を二月二三日に支払うという合意内容であつた。

契約書の売主欄の羽石建材のゴム印と代表者印は被告羽石が自ら押捺した。

その後被告田島は、被告山分に、代金の支払が二月二三日にできる旨の連絡をし、二月二三日に被告省三が役員をしている会社で、被告井上らと羽石建材間の売買契約の締結及び代金の支払等をすることを取り決めた。

6  昭和五八年二月二三日、被告省三の役員室に被告省三、同安子、同田島、同羽石、同山分、小野建設の担当社員、千國の代表者等が参集し、被告井上らを売主、羽石建材を買主とし、代金を二億〇五三六万円とする被告井上ら所有土地及び本件建物の被告省三、同安子の各三分の一の持分(なお、契約書には本件物置のうち一棟だけが記載されており、プレハブ式物置二棟は記載されていない。)の売買についての契約書の調印、小野建設から羽石建材への売買代金の一部二億三六七四万円の支払、羽石建材から被告井上らへの売買代金二億〇五三六万円の支払、各所有権移転登記に必要な書類の授受が行われた。

被告羽石は売買契約書の買主の名下などに自ら代表者印を押捺した。なお、この契約書の案は被告山分が起案したものであり、当日調印した契約書も被告山分が用意した。

右契約書には、「目的物件中建物部分は原告の持分三分の一の登記があり原告はこれにつき共有持分を主張しているばかりか目的物件中土地についても右建物のため使用貸借ありと主張している事実を確認し、羽石建材は引渡後は使用等の処分について原告と協議しこれをなすものとし、将来原告より被告井上らに対し異議請求のないようにするほか、被告井上らに対し何らの請求もしないものとする。被告井上らが原告から何らかの請求をされたときは、羽石建材はその費用と責任において解決し、被告井上らに迷惑を及ぼさないものとする。」との条項がある。

売買代金の差額(三一三八万円)のうちから、千國に対する仲介手数料、司法書士に対する登録手続費用の支払がされた。右差額のうち二〇〇〇万円の小切手は被告田島が「梁井秀夫」の名義で取立て、二月二四日に支払を受けている。

7  昭和五八年二月二三日、被告井上ら所有土地について、被告井上らから羽石建材への共有者全員持分全部移転登記及び羽石建材から小野建設への所有権移転登記がされた。

また、同年三月一日、本件母屋について、被告省三、同安子持分の羽石建材への全部移転登記がされた。登記済証は原告が所持していたので、右登記は申請書に保証書を添附してされた。

8  被告羽石は、解体業者に依頼して、本件建物を昭和五八年三月七日に取壊した。

被告羽石は、まず、三月一日から五日間、被告井上ら所有土地の隣接土地上の原告所有建物の賃借人の動静を車中から監視し、家人の在宅している時間、出入りの状況等を調査し、午前一〇時すぎに取壊しをすれば右賃借人に気付かれないであろうと判断した。そして、取壊しの当日は、通常ならば機械一台で足りるし、二日間位かけて作業をするところ、大型機械二台によつて午前一〇時から三〇分間で全部取壊した。

取壊しの当日は取壊し後直ちに引き揚げ、二、三日様子を見て、五日間かけて三月一四日までに片付けをした。

三月一四日に被告田島と小野建設の担当者が現地に立会い、更地になつたことを確認した。

被告羽石は、被告田島から、解体費用として三月七日に四〇万円、三月一四日に五〇万円の支払を受けた。

また、三月一四日の二日後に被告田島と被告羽石は小野建設へ行き、留保されていた残代金一八九三万九二〇〇円を受領した。被告羽石は被告田島からこのうち四一〇万円の支払を受けた。

以上の事実が認められる。

被告羽石本人は、右認定に反し、羽石建材と小野建設、羽石建材と被告井上らの各売買契約書に調印がされた際には、いずれの場合にも契約書に貼付する収入印紙を買うために印章を預けたまま外出しており、契約書への捺印は自分ではしていないし、契約書の内容も確認しておらず、代金の授受等にも全く関与していないと供述している。しかし、被告羽石は不動産業も営んでいるのであるから、このような行動は極めて不自然であり、前記認定の一連の事実によれば被告羽石は被告田島の指示のままに単に受動的な立場で行動していたものとは考えられないから、右供述は措信することができない。

また、被告田島本人は、同被告が被告羽石に紛争を解決して更地にすれば小野建設が被告井上ら所有土地を買受けることになつているとの話をしたところ、被告羽石から、一か月位で自分の方で紛争を責任もつて解決するから、右売買の件に一口乗せてもらいたいとの申し出があつたので、利益を折半するという約束で、被告羽石が買受けて紛争を解決して更地にした上で小野建設に転売することにしたものであり、被告羽石からは昭和五八年二月二三日に五〇〇万円、建物解体後に一〇〇〇万円を受取つただけである、本件建物の取壊し後に初めて被告羽石から原告に無断でこれを取壊したという話を聞いた、と供述している。

しかし、この供述は措信することができない。まず、被告田島が本件に関して受領した金員はより多額であつたものと認められる。すなわち、〈証拠〉によれば、昭和五八年二月二三日に小野建設が売買代金の支払のために交付した小切手のうち額面二〇〇〇万円のものは、梁井秀夫の名義で取立てられ、持出銀行は荒川信用金庫尾久駅前支店であつたこと、右小切手は昭和五八年二月二五日に交換支払済みとなつていること、荒川信用金庫尾久駅前支店の梁井秀夫名義の普通預金口座は昭和五八年二月二四日に開設されており、同人の住所は「北区昭和町二―二〇―一」、勤務先は「千代田区鍛冶町二―八―六」とされていること、右口座に二月二四日に二〇〇〇万円の入金がされていること、右住所に梁井秀夫の住民登録はされておらず、昭和町二丁目二〇番一号というのは被告田島が代表取締役をしている立建興発株式会社の当時の本店所在地であり、被告田島の住所は昭和町二丁目二〇番一―一〇五号であること、千代田区鍛冶町二丁目八番六号は昭和四九年五月から昭和五二年六月まで立建興発株式会社の本店が所在した場所であること、昭和五八年二月二四日には荒川信用金庫尾久駅前支店に被告田島名義の普通預金口座も開設されていることが認められ、これらの事実によれば、右二〇〇〇万円の小切手は被告田島が梁井秀夫名義で取立て、その支払を受けたものと推認することができる。そして、小野建設から受領した代金額と被告井上らに支払つた代金額との差額は五〇三一万九二〇〇円であり、この中から仲介手数料、登記手続費用等が支払われているのであるから、被告田島が受取つた二〇〇〇万円という金額は、転売純利益の少なくとも半額に近いものであつたと推測される(なお、被告田島は、建物取壊し後に支払われた一八九三万九二〇〇円のうち相当額も取得しているはずである。被告羽石本人はこのうち四一〇万円を受領しただけであると供述しており、そのとおりであるとすれば、被告田島は残りの一四〇〇万円余りを取得していることになる。)。

次に、被告羽石の役割についても、被告羽石本人は、被告田島から本件建物の解体を依頼されたと供述しており、この点については被告羽石本人の供述を措信することができる。被告田島本人は、被告羽石が、自分の方には有名な和解のうまい弁護士がいるので一か月位で解決できると申し出たので被告羽石に紛争の解決を依頼したと供述しているが、このような申し出を直ちに信じたというのは不自然であつて、措信できない。転売利益のうち相当額を被告田島が取得していることも被告田島が本件建物の取壊しについてむしろ主導的な立場にあつたことを窺わせるものである。

以上のとおり、被告田島本人の前記供述は、本件建物の取壊しについての責任を他に転嫁するためのものであつて、事実に反するものであるといわざるをえない。

他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

なお、被告羽石は、原告が持分三分の一を有するものとして登記されている建物は被告羽石が解体した建物と同一のものではないと主張する。なるほど、本件母屋はその所在が宮坂一丁目二四一二番であるとして登記されているが、被告羽石が解体した建物のほかにトシが所有していた建物があつたということを窺わせる証拠は全くないから、被告羽石が解体した建物は原告が主張している本件建物であることは明らかである。また、被告らが不法行為者であるとすれば、本件建物の所有権についての対抗要件を必要とするものではないから、本件母屋の登記についての所在地番の誤りは不法行為責任の成否に影響を及ぼすものではない。

八そこで、本件建物を原告に無断で取壊したことについて被告らに不法行為責任があるかどうかを検討する。

1  被告田島について

被告田島は被告羽石に本件建物の解体を依頼した者であるが、前記認定のとおり、これに先立つて被告山分から本件建物について原告が持分三分の一を有すると主張して紛争が生じていることを聞いており、本件母屋についてはその旨の相続登記もされていることも知つていたのである。

したがつて、被告田島が原告の主張の当否について何ら調査をすることなく(被告田島が原告が真実持分を有しているかどうかについて調査をしたという証拠はない。前記のとおり、被告田島本人は、紛争は被告羽石が解決することになつていたと供述している。)、被告羽石に本件建物の取壊しを依頼したことについては、少なくとも過失があることは明らかである。

被告田島には不法行為の責任がある。

2  被告羽石について

被告羽石本人は、昭和五八年二月二一日に被告山分に会い、同被告から、本件建物は被告井上らの所有であるが、原告が遺言状を偽造し、三文判を使つて自分が持分三分の一を有する旨の登記を勝手にしてしまつた、しかしこういう事情であるから、被告井上らが取壊すと問題になるが、第三者がこれを買取つて取壊すならば法律上何ら問題はなく、刑事事件にもならないから心配はいらない、との説明を受け、更に原告と被告井上らとの間の和解調書の「原告が本件建物の持分三分の一を有することには争いがあり、本和解は右持分の帰属が確定するまでの暫定的和解であることを双方確認する。」との条項を示されて、このように裁判所の和解でも原告の持分については疑惑があるということになつているから何も心配はいらないと説明され、二月二三日にも被告山分から心配いらないからしつかり頼むよと言われた、と供述している。また、被告羽石は、被告田島からも同じような趣旨の第三者が取壊すことには何ら法律上問題がないという話を聞いていると供述している。

しかし、これらの供述は措信することができない。〈証拠〉によれば、被告羽石は本件建物の取壊しについて原告から告訴され、警察の取調べを受けた際に、当初は自分だけが責任を負うつもりで被告田島や被告山分の名前を出さなかつたが、昭和五八年一二月頃に原告から自宅の仮差押えを受け、被告田島や被告山分にその打開策を考えてもらいたいと依頼したがこれを断られ、その後検察庁へ上申書を提出し、その中で被告田島、同山分の名前も出して当初述べた話は事実に反すると上申したことが認められる。このように、被告羽石は自宅を仮差押えされ、被告田島、同山分にその解決を依頼したがこれを断られたことを契機として右両被告に責任を転嫁するという態度に変つてきているのであつて、右供述もそのような態度の表れであるとみざるをえない。また、被告田島本人は同被告及び被告山分が前記のように述べたことを否定している。

そして、被告羽石が本件建物の取壊しを前記認定のような極めて異常な方法で行つていること、単なる建物解体の報酬としては高額にすぎる金員を受領していること(被告羽石本人は、実際に受取つたのは五〇〇万円であるが、当初の被告田島との約束は一〇〇〇万円であつたと供述している。これに対して、被告田島本人は利益を折半するという約束であつたと供述している。いずれにしても、被告羽石が受取ることになつていた報酬は極めて高額である。)からして、被告羽石は本件建物を取壊すことは法的問題の生じうるおそれがある著しく危険な仕事であることを十分認識していたものと推認することができる。

被告羽石はこのような取壊し工事を敢えて行つたのであるから、少なくとも過失の責任を免れないものということができる。

3  被告山分について

被告山分が被告羽石に対して本件建物を取壊しても何ら法律的に問題がないと述べたという事実は、右のとおりこれを認めることはできない。

被告羽石本人は、昭和五八年二月二一日に被告山分に会つた際には、被告田島から、「解体の羽石です」と紹介され、自分が解体をすると述べた旨供述するが、被告田島の本人尋問の結果と対比して措信することができない。また、原告本人は、小野建設の担当者川野から、川野が売買契約前に被告山分の事務所を訪問し、被告山分に本件建物を本当に取壊すことができるのかと聞いたところ、被告山分は川野に必ず取壊すと述べたと聞いていると供述しているが、川野が事実を述べているか疑問であり、右供述を直ちに採用することはできない。被告山分が、原告に無断で取壊すと述べたという趣旨であるかどうかも明らかではない。

結局、被告山分が被告羽石に本件建物の解体を指示し、あるいは被告田島、同羽石らと本件建物の解体を共謀したことを認めるに足りる証拠はない。

しかし、〈証拠〉によれば、昭和五七年一二月に被告井上ら所有土地を買受けたいとの希望を持つていた小野建設の担当者を被告田島が被告山分の事務所へ同道し、被告山分が小野建設の担当者に被告井上らと原告との間の争いについて説明し、小野建設で更地にすることは無理だから右土地を買受けるのは断念したらどうかと話し(小野建設は右土地を更地にして利用したいという意向であつた。)、小野建設が右土地を買取るという話は一時中止になつた事実があることが認められる。ところが、昭和五八年二月二三日には、小野建設も参集して売買契約の締結とその履行等をしているのであるから、被告山分は遅くともこの時点では被告井上ら所有土地を羽石建材から買受けるのは小野建設であるということを知つたはずである。そして、小野建設はかねて更地になつた上でこれを買受けることを希望していたのであり、被告山分はこのことを知っていたのであるから、被告山分としては、被告井上らと小野建設との間に介在する羽石建材が、本件建物の原告の持分三分の一の問題について何らかの解決をして、土地を更地にした上で小野建設に引渡すことを約しているものであることは推測しえたはずである。ところで、被告山分は昭和五七年一〇月には被告井上らの代理人として本件建物の所有権の放棄について原告と交渉し、また、原告が申請した本件建物取壊し禁止の仮処分事件においても被告井上らの代理人として関与していたのであるから、原告が本件建物について持分三分の一を有することを強く主張し、話合いには容易に応じない意向であることを十分に知つていたはずである。したがつて、被告山分としては、被告羽石あるいは被告田島がどのような方法で原告との間の問題を円満に解決し、あるいは将来解決しようとしているのか、疑問を抱くのが当然である。ところが、被告山分は、被告井上らと羽石建材との間の売買契約書に「羽石建材は引渡後は使用等の処分について原告と協議してこれをなすものとし、将来原告より被告井上らに対し異議請求のないようにする」との条項を入れただけで、被告羽石あるいは被告田島に対し、原告との紛争の解決方法等について問い質したことを認めるに足りる証拠はない。また、被告田島あるいは被告羽石が敢えて違法な行為をするようなことのない信用するに足りる人物であること、あるいは少なくとも外観上はそのような人物であるように見えたことを認めるに足りる証拠もない。したがつて、被告山分は、被告田島及び被告羽石が何らかの違法な手段、場合によつては原告に全く無断で本件建物を取壊すという方法で被告井上ら所有土地を更地にしてこれを小野建設に転売する意図を有していることを察知しながら、これを黙認し、右土地及び本件建物の持分三分の二の羽石建材への売却に関与したものと推認せざるをえない。原告との間で話合い等による解決ができたのかどうかは、当の原告に問い合せれば直ちに判明するはずであり、弁護士である被告山分がこのことに思い及ばなかつたはずはない。ところが、被告山分がこのような問合せをしたことを認めるに足りる証拠はなく、この点も右の推認を裏付けるものである。

そして、被告山分が被告井上らに代つて右売却を承諾した結果、本件建物は被告田島、同羽石によつて取壊されたのであるから、被告山分の行為と本件建物の取壊しとの間には相当因果関係があり、また、これについて被告山分には少なくとも被告田島、同羽石に対して原告との紛争をどのように解決したのか、あるいは今後解決するのか確認しなかつた点に過失がある。被告山分は弁護士であり、弁護士は社会正義を実現すること等の使命に基づき、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持に努力しなければならないとされている(弁護士法一条)のであるから、自己の受任した法律事務に関連して違法な行為が行われるおそれがあることを知つた場合には、これを阻止するように最大限の努力を尽すべきものであり、これを黙過することは許されないものであると解される。そして、これは単に弁護士倫理の問題であるにとどまらず、法的義務であるといわなければならない。

4  被告井上らについて

被告井上らが本件建物が原告に無断で取壊されることを知つていたか、又はこれを知りえたことを認めるに足りる的確な証拠はない。

原告本人は、小野建設の担当者の川野から、川野が売買契約の前に被告省三に会い、同被告から「これは弁護士も入つている問題だから小野建設には迷惑をかけない。建物を取壊すことについても心配はない。」と言われたということを聞いていると供述している(証人小野裕司も同旨の証言をしている。)。しかし、小野建設の報告書である前出甲第四七号証には、被告省三の言として「弁護士が立会つてきちんとしてあるので貴社には迷惑をかけない」との記載があり、被告省三が建物の取壊しについてまで言及したという点は疑問である。そして、それ以外の被告省三の言葉からは、同被告が本件建物が原告に無断で取壊されることを知っていたと推測することはできない。

また、被告羽石本人は、昭和五八年二月二三日に被告省三の役員室に関係者が集つた際に、解体をやる有限会社羽石建材の羽石だという紹介をされたと供述しているが、措信することができない。

そして、被告井上らは被告井上ら所有土地及び本件建物の持分三分の二の売却については弁護士である被告山分に一切任せており、また、原告との間の紛争は買主側で解決するものとして時価より安い価格でこれを売却することにしていたものであり、更に羽石建材との間の売買契約書には本件建物の所有権に関する原告の主張すなわち紛争の内容を明記し、原告から被告井上らに対し異議請求のないようにすることを羽石建材が約する旨の条項も含まれているのであるから、被告井上らが、原告との間の紛争は右契約条項のとおり買主である羽石建材が適法に解決するものと信じていたとしても当然であると思われる。

次に、被告井上らの委任した被告山分には前記のとおり不法行為責任があるものと認められるが、弁護士は受任した法律事務について原則として委任者から直接の監督を受けず、独立してその事務を行うのであるから、依頼者は通常は使用者責任を負わないと解すべきであり、殊に本件においては被告井上らは一切を被告山分に任せて何ら指示をしていないのであるから、被告井上らは使用者責任も負わないものというべきである。

九本件不法行為によつて原告の被つた損害について判断する。

1  原告は、本件建物について得ることのできた賃料収入を失つたと主張する。

しかし、〈証拠〉によれば、昭和五六年一月末日に本件母屋の一部の賃借人がこれを明渡して以後、本件建物は誰にも賃貸されておらず、空屋になつていたことが認められる。

そして、共有物を賃貸することは共有物の管理に関する事項であるから、各共有者の持分の価格に従いその過半数をもつてこれを決する必要があるが、原告は本件建物の三分の一の持分を有するにすぎず、本件建物を新たに賃貸することが可能であつたとは言い切れない。したがつて、本件建物が取壊されなかつたとしても、原告が賃料収入を得ることができたとは限らないから、これをもつて損害の根拠とすることはできない。

2  しかし、原告が本件建物の価格の三分の一相当額の損害を被つたことは明らかである。

そして、本件建物は原告、被告省三及び被告安子の共有であり、その敷地は被告井上らの共有であつたのであるから、本件建物を所有するための敷地についての占有権原は使用借権であると解される。使用借権は土地が譲渡された場合には土地の新所有者に対抗することはできないが、本件建物の持分三分の二を除いてその敷地だけが譲渡されることは通常はなく、極めて稀な事態であろうと考えられ、敷地の新所有者が本件建物の三分の二の持分も同時に買受けて取得しているとすれば、本件建物の所有のためにその敷地を占有することは敷地の新所有者としても認容せざるをえないのであつて、原告も引続き右敷地を使用借権に基づいて占有できることになる。

したがつて、本件建物はこれを収去せざるをえない運命にあり、何ら財産的価値はなかつたとはいえない。本件建物は敷地について占有権原を有するとの前提でその価格を評価すべきであり、単なるその資材の価格にすぎないと考えるべきものではない。

そして、〈証拠〉によれば、本件建物の昭和五八年三月七日当時の価格(再調達原価を求め、これに現価率を乗じて算出したもの)は六九六万円であるものと認められる。

なお、右〈証拠〉(不動産鑑定士の調査報告書)は、原告の提示した資料によつて昭和二七年以降に本件建物について行われた改修工事等の内容とその費用を認定し、これを本件建物の価格を算定するについて参考にしているが、原告が提示した資料がどのようなものかは明らかではない。しかし、原告本人尋問の結果によつても本件母屋等について相当の改修工事が行われていることが認められ、右調査報告書の判断はそれ相応の根拠があるものと考えられる。

また、〈証拠〉(昭和二五年申立の遺産分割調停事件における昭和二六年一月二七日付鑑定書)には、本件母屋は建築後七、八年を経過していること、地盤が本来強固であつて基礎工事も極めて入念に施工されていること、建築資材も相当良材を吟味していること、採光、通風もよいこと、評価額は八一万九〇〇〇円(坪当り二万一〇〇〇円)であること等の記載がある。〈証拠〉(前記調停事件における昭和二六年三月付の鑑定書)にも、本件母屋は築後八年位を経過し、主材は檜を使用しており、通風、採光ともに良好で、壁、畳、雨樋等の一部は修理を要するが他は修理の必要がなく、価額は八九万七〇〇〇円(坪当り二万三〇〇〇円)と評価されるとの記載がある。更に、〈証拠〉によれば、本件母屋の一部(ほぼ三分の二の部分)は昭和五〇年当時月額二五万円で、本件別棟は昭和五一年当時月額五万五〇〇〇円でそれぞれ賃貸されていたことが認められる。これらの鑑定書の記載や右賃料額並びに〈証拠〉によつても、〈証拠〉の本件建物の価格についての結論は首肯しうるものということができる。

次に、前記のとおり本件建物には敷地についての使用借権が付着しているものとして評価すべきものと考えるが、この使用借権を金銭的に評価するのは困難である。前出甲第四九号証は、使用借権については競売評価運用基準の考え方を参考にして建付地価格(更地価格から建付減価〇・五パーセントを控除した価格)の約二割程度と評価するのが妥当であるとしている。しかし、使用借権の評価についての一般的、平均的基準として約二割という数字を採用することの当否はともかくとして、本件使用借権はこれがどの程度の期間存続するのかも予測できないし、直ちに約二割という数値を採用することはできない。結局、その評価額を算出することは不可能であるといわざるを得ない。

したがつて、原告が本件建物が取壊されたことによつて被つた財産的損害は本件建物の評価額六九六万円の三分の一の二三二万円であるとするほかはない。

3  原告は、本件建物の取壊しによつて精神的打撃を受けたとして慰藉料を請求する。そして、原告本人は、本件母屋は母親トシが非常な愛着を持つていた建物であり、本件建物が取壊されたことによつて大きな精神的衝撃を受けたと供述している。

しかし、本件建物は、原告にとつてはそれなりに大切な物件であつたとしても、当時は空家のまま放置されていた古い家にすぎず、財産的損害のほかに精神的損害の賠償を認めることを相当とするような物件ではないと解される。原告の慰藉料請求は理由がない。

一〇以上述べたとおり、原告の本訴請求のうち、被告羽石、同山分及び同田島に対する請求は二三二万円及びこれに対する不法行為の日である昭和五八年三月七日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の各自支払を求める限度で理由があることからこれを認容し、右被告らに対するその余の請求及び被告井上らに対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官矢崎秀一)

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